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	<title>RUI&#039;S BLOG</title>
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	<description>土井龍一の想い</description>
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		<title>人生の選択</title>
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		<pubDate>Mon, 07 May 2012 06:26:24 +0000</pubDate>
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				<category><![CDATA[未分類]]></category>

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		<description><![CDATA[　    　　人生にはよく三大選択があると言われています。それは（１）学校の選択と（２）職業の選択と（３）結婚相手の選択です。その中で学校の選択は教育につながっていきますが、本来教育は、知識、人間性、健康の三者を統合した全人格的な意味での「人つくり」であり、それは共同社会を作る「町つくり」に連なり、さらに国際的にも通用する「国つくり」に連なるものと考えます。 　ところで、介護保険制度は、老いて介護が必要になった国民を支えるために、２０００年４月に創設されました。その背景には、我が国の高齢化という問題がありますが、これからは人生の重大な選択の中に「介護の選択」という意思決定が加わってきます。全人口に占める６５歳以上の高齢者の割合を高齢化率といいますが、１９７０（昭和４５）年に７．１％だった高齢化率は、２００５（平成１７）年には２０．２％となり、５人に１人が高齢者となりました。今後も、２０１５年には４人に１人、２０２５年にはおよそ３人に１人が高齢者となることが予測されています。人は年をとることで、体力・気力が衰え、病気・障害を生じやすく、その結果、介護が必要となる確率が高くなります。現在、要介護認定を受けた高齢者は全国で５００万人近くにのぼり、これからも増加が見込まれています。身内で介護が必要になれば、家族が介護することになり、家族に負担がかかってきます。また、高齢者とその子との同居率は年々下がっており、最近は高齢者の半数以上が独居あるいは老夫婦で生活しています。さらには遠距離介護という言葉も耳にするようになり、介護している家族の年齢をみると、半数以上が６０歳以上の家族で、老老介護という状況です。そして、介護している家族の約７０％が女性（妻、娘、長男の妻など）であり、職業を持つ女性が介護のために離職せざるを得ないなど、社会経済面の損失を指摘する声もでてきており、男性労働者においても、介護のための離職は増えつつあります。 　このような現状を踏まえて私たちは、これからの地域社会支援を考える上で、高齢者が安心して楽しく生活できる環境を提供することが大切であると思っています。人生経験豊富な高齢者の豊かな知恵は若者を健全に育て、高齢者の心豊かな生活は、子供たちを精神的に成長させてくれます。私たちSTRグループも医療介護福祉活動を通じて高齢者が、若者や子供たちと一緒になって、健やかに安心して生活のできる地域社会を創り上げていくことができればと願っています。    　ゴールデンウィークに遊び盛りの子供たちを連れて、4/30はとべ動物園（松山市）、5/2は映画鑑賞、5/3は大阪小旅行、5/4は登山とガーデニング、5/5は世羅高原農場（イチゴ狩り）と墓参り、5/6は、宮島水族館とテニスに行ってきました。さすがにネタが尽きてきました。さて次の休日は&#8230;子供たちと何をしよう？？？]]></description>
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		<title>在宅診療医として</title>
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		<pubDate>Sat, 21 Apr 2012 02:33:40 +0000</pubDate>
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				<category><![CDATA[未分類]]></category>

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		<description><![CDATA[  　卒業と同時に故郷の広島に戻り28歳で病院を開業し、終末期医療に関わりながら数多くの看取りを行う中で、生と死の狭間で苦悩する終末期の方々から多くのことを教えていただきました。そして自分の思う終末期医療を実現するために病院を在宅支援診療所に転換し、「住み慣れた環境で最期まで自分らしく生きることができるように」という思いのもとにホスピスの協力医として在宅医療を始めました。在宅医療の現場では、「在宅療養者と家族のニーズ」に最大限の配慮をするために、医師が在宅療養コーディネーターとして、看護師、介護福祉士、薬剤師、ケアマネジャー、OT、PT等のパラメディカルと連携し、さらには「在宅医療ニーズの多様化」に対応するために各科専門医師と在宅診療連携を行い「在宅療養の質の向上」を高める努力をしています。また近年ではかかりつけ医師として、グリーフ・ケアー、独居高齢者支援、認知症支援、在宅療養者の成年後見人問題の支援も重要な役割となってきており、医師には在宅療養者のTotal painの緩和のために医療的能力のみならず全人的能力も求められる時代になってきています。今後も在宅療養者のQOL（生活の質）を高めるために様々な取り組みを取り入れながら、少しでも穏やかに在宅での療養生活が送れるように配慮していきたいと思っています。どの職業でも同じですが、目標を実現する上で大切なことは、自分の気持ちに正直に、勇気を持ってまず一歩を踏み出し、やりたいことをどんどん追求することだと思います。忙しく過ぎていく毎日ですが、皆さんにも自分が目指すべき将来像を見つけて夢を持って人生を前向きに歩んで欲しいと願っています。     この4月21日に次女を授かり、名前を俐杏（りあん）と名付けました。皆さんに愛されて健康で心優しい女の子に育っていってくれればと願っています。兄弟三人で「社会」ができるとよく言われますが、仲良し三兄弟になればいいのですが、これからどうなることやら。]]></description>
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		<title>おもい（憶思想懐）</title>
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		<pubDate>Sun, 01 Apr 2012 07:10:30 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[  人生の中で大きな決断を必要としたときには、今までの自分の経験から生まれてくる「憶い」を基にして、現実的に論理的に思考して「思い」、次に自分の心と会話して「想い」、さらにはそれらすべてを包み込んで愛おしく抱きこんで「懐い」こむことが大切です。そして「懐い」こむところまでの作業で自分が決断しようとしている事柄に得心できるのならば、迷わずに決心して飛び込んでいきましょう。「憶い」→「思い」→「想い」→「懐い」の流れで考えることで生まれた決断には、後悔がありませんし、きっとなんとかなっていくものです。   この度、日帰りでハウステンボスまでるりあ、伶一哉をつれて、ワンピース展を見に行ってきました。５０歳代になっての子供連れ日帰り旅行は本当にきついものがあります。月末にはゴールデンウィークが控えていると思うとぞっとしてくるのは僕だけでしょうか？]]></description>
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		<title>先人の叡智</title>
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		<pubDate>Thu, 01 Mar 2012 05:33:08 +0000</pubDate>
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				<category><![CDATA[未分類]]></category>

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		<description><![CDATA[　人は必ず死ぬものである。でもその想いや言葉は遺すことができる。どんなに不遇であっても、人間が物事を真摯に思索し、そのことを想いや言葉として遺してさえいれば、それは後世の人々に伝わり、叡智となる。その叡智の積み重なりが、生きる人々の心の糧や潤いとなっていく。 　明治維新の動乱期を生き抜いた馬越恭平の言葉に「心配すべし、心痛すべからず」という言葉がある。困ったことが起きたときには、「心を配るのはよいが、心を痛めつけすぎて体まで痛めてしまっては元も子もない」という意味の言葉である。ただそうはいってもなかなかこのようにするのは難しい。解っていてもできないのが人間というものであるが、でもあらかじめこの言葉を知らないより知っていたほうが心は安らぐものである。そういう意味において機に触れて先人の叡智を知ろうとすることは、今の自分の客観的評価の指標となったり、また今の自分に足りない何かを見つけ出すきっかけになったり、心的外傷を軽減しさらなる未来を創造する原動力になったりして、とても意味のあることだと思う。   この度、第３STビルが完成し、３月１日より重松税理士事務所、ホクト鍼灸治療院、訪問看護ステーション「ラズベリー」、Rプラス「訪問リハビリステーション」、シナモン居宅介護支援事業所、Hiroshima Play House「英会話教室」、R1福祉カレッジ、土井クリニック戸坂「精神訪問看護ステーション」などが入居し、今まで以上に効率よく利用者の方々にサービスが提供できるようになりました。]]></description>
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		<title>「幸福とは」</title>
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		<pubDate>Sat, 11 Feb 2012 03:47:50 +0000</pubDate>
		<dc:creator>ruisblog</dc:creator>
				<category><![CDATA[未分類]]></category>

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		<description><![CDATA[ある本に「幸福」について次のように書かれていました。 皆さんは「幸福とは」どのようにお考えですか？ 命は自然に流れていくだけなのです。そして私たちはやらなくてはならないことをやりながら生きているのです。しかし、何をして生きていても生きることは「苦」なのです。「苦」以外に何もないからこそ人間は「幸福」を目指すのです。しかし、「これが幸福です」と具体的に言うことができる人はいません。誰しも幸福の経験がないからです。「幸福になる」と思って私たちが実際に行っている行為は「苦をなくすこと」なのです。ですから「幸福とは苦を乗り越えること」と考えてそのときそのときに最善を尽くしたほうがいいのです。つまり、今に生きていることを意識して、今を大切にして、今できることに真摯に向き合い解決していくことで「苦」を乗り越えていくことが大切なのです。 また、「西遊記」について次のように書かれていました。 子供の頃にテレビで慣れ親しんでいた「西遊記」も奥がふかいものですね… 仏教的には、いわゆる「煩悩」という言葉は「貪（どん）、瞋（しん）、痴（ち）」で表されます。貪（どん）というのは貪欲の貪です。瞋（しん）というのは怒りです。痴（ち）というのは偏った認識のことで、めんどうくさくて何もしないことや、あることにはまってしまってそのことばかりしていることなどです。……　怒りという瞋（しん）というのがどうもノルアドレナリン神経ですね。そして貪（どん）は明らかにドーパミン神経ですね。痴（ち）というのもドーパミン神経じゃないかと思いますが、複合系かもしれません。……　「煩悩」というのはある意味で、ノルアドレナリン神経とドーパミン神経なのです。快と不快、ポジティブとネガティブ、好き嫌いなんですよ。好き、快、ポジティブというのはおそらくドーパミン神経だろうと思います。ノルアドレナリン神経というのは不快でありストレスであり嫌だということです。でも両方とも必要なもので、なかったら自己保存もできません。それに対してセロトニン神経はノルアドレナリン神経とドーパミン神経が暴走しないようにそれらをコントロールし抑える働きをするのです。……「西遊記」という話がありますよね。三蔵法師が旅をして経典を持ってくるわけですけれども、お供をしたというのが孫悟空と猪八戒と沙悟浄なんです。この孫悟空というのは「瞋り（怒り）」なんです。猪八戒というのは「貪欲さ」ですね。沙悟浄というのは「痴」なんですよ。さっき申し上げた「貪（どん）、瞋（しん）、痴（ち）」という三毒ですが、これらは度を過ぎなければ生命力の発露でもあるし、度を超すと煩悩でもあるものの象徴なんです。三蔵法師は実際には一人で天竺まで行きましたから、本当はこの三人は三蔵法師の中にいるんですね。たまには三蔵法師だって腹が立つ、つまり孫悟空が悪さをすることもあるわけです。もっと食べたいとか、女性に接したい、なんて思いは猪八戒の悪さですね。怠けたくなって、やる気が起こらなくて、要するに正常な範囲からずれてしまうのは「痴」である沙悟浄の悪さです。しかし基本的にはそれらがすべて助けになっていくわけです。ちゃんと生命力として使いこなして経典を持って帰るわけです。あの三人は「貪（どん）、瞋（しん）、痴（ち）」でそれを象徴しているのです。 今日は、るりあの６歳の誕生日です。スタッフとともに焼き肉屋で誕生パーティを開きました。皆さんから祝福をしていただき、るりあの少し照れながらも嬉しそうな笑顔に心温まる想いをいただき、これまで支えてくださった方々に感謝、感謝です。]]></description>
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		<title>新年のご挨拶</title>
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		<pubDate>Sun, 01 Jan 2012 08:47:23 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
				<category><![CDATA[未分類]]></category>

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		<description><![CDATA[      　ありがたいもので東区戸坂の地に開業させていただいて今年の三月で開業二十三年目を迎える。これまでの間なんとか地域医療に関り続けてくることができたのもひとえに心ある多くの方々のご理解とご支援の賜だと心より感謝している。そして、開業当時二十八歳であった年齢も今では人生の後半を過ぎて五十一歳になった。そんな自分のこれまでの人生を振り返ってみると、いつも頭をあちらこちらにぶつけながら、ただ懸命に生きてきただけであるような気がする。時には胸を締めつけられるような思いをしたり、落ち込みがひどくてもう立ち上がれないほどふさぎ込むようなこともあったりしたが、最近になっていつ何が起きるのか解らないのが人生なのであろうと思えるようにもなってきた。また、僕は普通の人間だから数々の不本意な出来事、社会的な裏切り、ビジネス上の失敗などに、「もう辞めてしまおうか」と真剣に迷ったことも多々あった。ただいかなるときも腐らなかった。どちらかと言えばいつも前を向くように自らを意識づけて、少しだけだが未来を夢見て生きてきたように思う。そして「少なくとも自分だけはごまかさずに生きていこう。」といつも心掛けてきた。本来はこうすべきである、こうあるべきであると思いながらも、目先の利益や他人の評価などを気にかけすぎて自らを偽れば、必ず悔いが残るものであるし、他人はごまかせても決して自分はごまかせないからである。さらに内面的に振り返ってみると、今の自分を作り上げてきた核心は、心の芯の部分にあるいつも大切に持ち続けてきた「子供心」だと思っている。でもそれは、誰かに見せたいと思うものではなく、どちらかというとどこかに恥じらいのようなものがあって、見せないように見られないようにこれまで生きてきた。またそれは、庭の草むらにいる虫たちを観察しているときや、ひとりでお昼のお弁当を食べているときや、心のままに楽器を演奏しているときや、大好きな海をじっと眺めているときなど、むしろひとりでいる時に意識している感覚に近いもので、ある意味において自分の価値観を形成し自己成長していくためにはなくてはならないスパイスのようなものだと感じている。でも若い頃には無理してこの「子供心」から離れていこうと、いつも意地や見栄を張ったりしていたものだが、この年になってだんだんと老いという進化が始まってきたためか、今ではかえって意識的にこの「子供心」を自然な形でもっともっと表に表現していきたいと思えるようになってきた。また不思議なもので、肩こりや腰痛持ちになった自分や階段に息切れがするようになった自分に内心微笑ましく思うような時や、年老いていく自分が可愛いとさえ思えるような時もあるようになってきた。そして五十路を迎えてくると自然に自分の思考や感情と身体がようやく相見えるように融和するようになってきて、人から良く思われたいとか、無理して背伸びしてみようという感覚もなくなり、良い意味で自分の身の丈を認め、あるがままの素の自分を表現できるようにもなってきた。だから今の自分はちょうどいい感じに人生を歩んでいるように感じている。 　一方でこれからの自分の将来を考えてみると、第二の人生をそろそろ真剣に考える頃となってきた。「どうやって肩書きのない自由な生活に入ろうか？」「老後はどこに住み、なにをしていこうか？」など、信用を維持しながらの組織継承や医者としての能力的限界後の新たな生き方の模索をしすぎて内省的になることがしばしばある。基本的にはきっと神様が引退後のキャリアも導いてくれるのではないかと楽観的に思っているのではあるが、第二の人生へのタイミングの決断はとても難しいものだ。なぜなら早く辞めすぎて、後で後悔はしなくないし、逆に長く続けすぎて、後悔もしたくないからだ。そんなことを時間があれば考えてはいるものの、世の中はそんなに簡単に自由にはしてくれないもので、次から次へと自分の責任のもとで押し進めていかなければならない仕事が訪れてくるのが現実でもある。　　　 　時代というものは常に変わっていく。 運もあれば不運もある。だからこそ、論語にある「徳不孤必有隣」の教えのように、どんな時もすべてを受け入れて、腐らずに、焦らずに自分なりに一生懸命修養しながら生きていくことが最も大切な心構えであると思っている。しかし五十路を走り抜いていくというのは、生物学的年齢で考えると体力、精神力との闘いにもなってくる。あと何年頑張れるのか？三年、五年、十年？　だとしたら、この五十路を、思いっきり楽しみながら笑顔で過ごしていきたい。艶やかな保存状態のいい五十路を過ごせるように、張りつめた緊張感の中でいかに楽しんでいくかを考えていきたい。さらには、自分の子供心が形成する処女的魅力も維持しながら若き頃の未熟性から早く卒業し、熟達の域へと少しでも到達することが出来るように自分らしく駆け抜けて行きたい。そういった思いが新たなる年を迎えるにあたって、さらに強く頭の中を駆け巡る。  ]]></description>
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		<title>「慣れない」「群れない」「頼らない」</title>
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		<pubDate>Wed, 14 Dec 2011 04:46:45 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
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		<description><![CDATA[    　良い医療を提供していきたいとは思っているが、良い医療は提供しようとしてできるものではないし、医療は他人のまねをすることができないものなので、そうしてしまうとただ自分のだらしなさが直に現れてしまうだけである。だからこそ自分がいつも未知の谷に飛び込んで不安の中に身を置いて、昨日を、過去をぶち壊していきながら自分だけの医療を作り上げていくことが大切で、つまり慣れるよりも「壊す」というのが僕のやり方である。また、過ぎてしまったことはきれいにすっぱりと忘れていきながら、もしかしたら自分の中にまだ芽をふかないものがあるかもしれない、ひょっとしたらまだ思いがけないものが潜んでいるかもしれないと絶えず自分を信じ続けることが自分の可能性へと繋がっていくものだと思っている。そのためにはいつも自分を空っぽにしておかないと新しい空気は入ってこない。自分に学び方があるとすればそれはいつも自分を空っぽにしておくということだ。さらに、自分を堕落させるのも良くしていくのも自分自身なのだと常に自分に言い聞かせておくことも大切だ。誰かにすがっていたら、慣れてしまっていては、努力しない自分が現れてきてしまう。人それぞれ姿や形が違うように、運命も皆違うのだから誰もしないことを自分に課せて、自分のためだけの人生を歩んでいかなければ自分の未来は絶対に形作れない。だからこそ安全な道はなるべく通らないで不安な道や未知の道をあえて選んで進んでいくことこそが自己修養であって、自己成長の基本であるといつも思っている。この年になってくると老いという進化が少しずつ始まってきてはいるが、それをも自分の糧として過去に学びながら常に少しだけ未来を見つめながら、最期の最期まで少しでも、１ミリでもいいから成熟に向かって歩んでいきたいと思っている。   今日５１歳の誕生日を迎えました。「慣れない」「群れない」「頼らない」を自分の三大原則としてこの一年も実りある成長を求めて頑張っていきたいと思っています。またこの日の夜に、STRグループ忘年会を広島グランビアホテルで行ないました。この忘年会に今年も職員一同が集うことができた環境や健康に感謝しながら、食事やお酒やゲームを心ゆくまで楽しみました。]]></description>
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		<title>我事に於いて後悔せず</title>
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		<pubDate>Sat, 10 Dec 2011 02:21:36 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
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		<description><![CDATA[    　この世に自らの意思で生まれてくる人は一人もいない。寿命もまた人の意思の範疇をはるかに超えていてコントロールできるものではない。しかも自分と全く同じ人間は過去にも存在しなかったし、これから先の未来にも生まれてくることは決してない。人は誰しもこの広大な宇宙の中でただ一人、一回限りの命を生きている。だからこそ自らの責任のもとに日々修養しながら、自己成熟させていくことこそ、自らにかせられた課題であり、自らの人生を生きていくことの真の意味ではないかと思う。そしてその人生とは自らが切り開くものであって、他人任せの判断や成り行きに身を委ねていてはいけない。さらには人生の岐路に立ち向かうときには、物事の本質をできるかぎり深く掘り下げて考え、冷静な判断の下に決断し、全てを断ち切って前に進んでいくことが肝心である。また決断し努力した結果を天の定めに委ねるという思いも忘れてはならない。つまり常に見識ある判断のもとに決断を下すことが自らへの責任であるということを肝に銘じていなくてはならないと同時に、自らの決断と修養のもとに起こった事には「我事に於いて後悔せず」という思いを持っておくことも大切だ。   　 　この度、ご遺族の方々を招待して第12回グリーフケアーパーティをホスピス・ナーシングホーム「クリーム」で開催しました。今回は海外から来られ現在一緒に仕事をさせていただいているDr.ピート（イギリス）、フェビーさん（フィリッピン）、ヒメさんとモモさん（タイ）に各国の紹介、伝統、習慣、有名な食事などをプレゼンテーションしてもらい、集まられた遺族の方々と異国文化を心ゆくまで堪能させてもらいました。]]></description>
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		<title>音　楽</title>
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		<pubDate>Mon, 21 Nov 2011 10:22:48 +0000</pubDate>
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		<description><![CDATA[  　一般にどのような音楽にでも聴き所があるものだ。ミュージシャンが好きで聴く場合もあるし、CDアルバムという一つの作品の演出､テーマに眼を見張ることもある。メロディーや音色や編曲がすばらしいものもあるし、歌詞のよさに感心するときもある。どこか一つにでも自分が興味の持てる良いところを見つけて、それを鑑賞することが大切だ。つまり好きとはそういうことなのだろうと思う。音楽はある意味で総合芸術であるからいろいろな要素が含まれており、CDアルバムやその曲のストーリーが興味深く、演奏者も名演者ぞろいで、しかもメロディー、編曲、演出がよくて、流れている音色も美しく、全てがそろっていて素晴らしい音楽と感銘できることが一番望ましいのは当然はであるが、お金を支払って購入している以上、楽しまなければ損である。しかめっ面ばかりして評論家気取りになるよりも、ひとつだけでも良いところを見つけてひたすら鑑賞して、満足して心豊かになることができればそれに越したことはない。人間関係についても同じようなことが言えると思う。なにかしら相手の良いところを探して接するように心がけていれば人生ももっと楽しくなるのではないのかと。   　数年前よりイギリス人のピート先生、フィリッピン人のフェビーさんという外国の方々と仕事をさせてもらいながら、語学や異国文化も学ばせてもらっています。そしてこの10月より新たにタイのチェンライから日本へ語学留学をされているモモさんとヒメさんという方と縁があり一緒に仕事をさせてもらっています。片言の日本語とタイ語でのコミュニケーションのため、まだまだお互いに苦労も多いですが、「出逢い」に感謝しながら頑張っています。 　また長年乗り継いできた愛車Benz SL55 AMGから、長年の夢であったAston Martin V8 Vantage Roadstarに乗り換えました。想像を超えた気品と優雅さを兼ね備えた美しい車で、とっても気に入っています。]]></description>
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		<title>「旅」に思うこと</title>
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		<pubDate>Sun, 23 Oct 2011 08:34:35 +0000</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
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		<description><![CDATA[　 　僕は一人で旅をすることが好きだ。というよりも一人で飛行機に乗っていることが大好きだと言うほうが当たっていると思う。制限されたある意味少し窮屈な環境で、顔見知りの人もおらず携帯電話もつながらない状態で、一人でおかずをつまみ、ビールを飲み、思いに耽けながら、誰にも邪魔されないで過ごす時間がとても至福の時なのです。確かに白い砂浜が続き、晴れ渡った真っ青な空や海のもとで、パラソルの造り出す日陰でボーっと時間を過ごすのも心地よいものですが、このような避暑地では視界に入る動きのある美しい情景や、自然や海辺の奏でる音色が心地よく五感を刺激するために、深く思慮を巡り渡すには情感的過ぎて、そのために自分自身に集中できず、自己洞察、考察するのには向きません。だから僕が好んで休暇を取るのは、どこかの観光地へ行きたいとか、旅先でのバカンスを楽しみたいとか、何か美味しいものを食べに行きたいとかいうよりも、旅先への行路、道程を楽しみたいというのが一番の理由のような気がします。そして今は、日本～バンコク間を飛行しているタイ航空の機内で枝豆をつまみビールで喉を潤しながら思索に耽ることが僕にとっての最高の息抜きであり、至福の時です。さあ、そろそろ「旅」にでてみようかな？ 　この１０月２３日に晴れ渡る秋空のもとで幼稚園の運動会がありました。せっかくの運動会でしたが僕は当番医にあたり仕事のために参加できませんでしたが、子どもたちは精一杯頑張ってくれたようです。子どもの成長は早いものですね,…。]]></description>
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