新年のご挨拶

 

 

 

 ありがたいもので東区戸坂の地に開業させていただいて今年の三月で開業二十三年目を迎える。これまでの間なんとか地域医療に関り続けてくることができたのもひとえに心ある多くの方々のご理解とご支援の賜だと心より感謝している。そして、開業当時二十八歳であった年齢も今では人生の後半を過ぎて五十一歳になった。そんな自分のこれまでの人生を振り返ってみると、いつも頭をあちらこちらにぶつけながら、ただ懸命に生きてきただけであるような気がする。時には胸を締めつけられるような思いをしたり、落ち込みがひどくてもう立ち上がれないほどふさぎ込むようなこともあったりしたが、最近になっていつ何が起きるのか解らないのが人生なのであろうと思えるようにもなってきた。また、僕は普通の人間だから数々の不本意な出来事、社会的な裏切り、ビジネス上の失敗などに、「もう辞めてしまおうか」と真剣に迷ったことも多々あった。ただいかなるときも腐らなかった。どちらかと言えばいつも前を向くように自らを意識づけて、少しだけだが未来を夢見て生きてきたように思う。そして「少なくとも自分だけはごまかさずに生きていこう。」といつも心掛けてきた。本来はこうすべきである、こうあるべきであると思いながらも、目先の利益や他人の評価などを気にかけすぎて自らを偽れば、必ず悔いが残るものであるし、他人はごまかせても決して自分はごまかせないからである。さらに内面的に振り返ってみると、今の自分を作り上げてきた核心は、心の芯の部分にあるいつも大切に持ち続けてきた「子供心」だと思っている。でもそれは、誰かに見せたいと思うものではなく、どちらかというとどこかに恥じらいのようなものがあって、見せないように見られないようにこれまで生きてきた。またそれは、庭の草むらにいる虫たちを観察しているときや、ひとりでお昼のお弁当を食べているときや、心のままに楽器を演奏しているときや、大好きな海をじっと眺めているときなど、むしろひとりでいる時に意識している感覚に近いもので、ある意味において自分の価値観を形成し自己成長していくためにはなくてはならないスパイスのようなものだと感じている。でも若い頃には無理してこの「子供心」から離れていこうと、いつも意地や見栄を張ったりしていたものだが、この年になってだんだんと老いという進化が始まってきたためか、今ではかえって意識的にこの「子供心」を自然な形でもっともっと表に表現していきたいと思えるようになってきた。また不思議なもので、肩こりや腰痛持ちになった自分や階段に息切れがするようになった自分に内心微笑ましく思うような時や、年老いていく自分が可愛いとさえ思えるような時もあるようになってきた。そして五十路を迎えてくると自然に自分の思考や感情と身体がようやく相見えるように融和するようになってきて、人から良く思われたいとか、無理して背伸びしてみようという感覚もなくなり、良い意味で自分の身の丈を認め、あるがままの素の自分を表現できるようにもなってきた。だから今の自分はちょうどいい感じに人生を歩んでいるように感じている。

 一方でこれからの自分の将来を考えてみると、第二の人生をそろそろ真剣に考える頃となってきた。「どうやって肩書きのない自由な生活に入ろうか?」「老後はどこに住み、なにをしていこうか?」など、信用を維持しながらの組織継承や医者としての能力的限界後の新たな生き方の模索をしすぎて内省的になることがしばしばある。基本的にはきっと神様が引退後のキャリアも導いてくれるのではないかと楽観的に思っているのではあるが、第二の人生へのタイミングの決断はとても難しいものだ。なぜなら早く辞めすぎて、後で後悔はしなくないし、逆に長く続けすぎて、後悔もしたくないからだ。そんなことを時間があれば考えてはいるものの、世の中はそんなに簡単に自由にはしてくれないもので、次から次へと自分の責任のもとで押し進めていかなければならない仕事が訪れてくるのが現実でもある。   

 時代というものは常に変わっていく。 運もあれば不運もある。だからこそ、論語にある「徳不孤必有隣」の教えのように、どんな時もすべてを受け入れて、腐らずに、焦らずに自分なりに一生懸命修養しながら生きていくことが最も大切な心構えであると思っている。しかし五十路を走り抜いていくというのは、生物学的年齢で考えると体力、精神力との闘いにもなってくる。あと何年頑張れるのか?三年、五年、十年? だとしたら、この五十路を、思いっきり楽しみながら笑顔で過ごしていきたい。艶やかな保存状態のいい五十路を過ごせるように、張りつめた緊張感の中でいかに楽しんでいくかを考えていきたい。さらには、自分の子供心が形成する処女的魅力も維持しながら若き頃の未熟性から早く卒業し、熟達の域へと少しでも到達することが出来るように自分らしく駆け抜けて行きたい。そういった思いが新たなる年を迎えるにあたって、さらに強く頭の中を駆け巡る。

 

カテゴリー: 未分類 |

「慣れない」「群れない」「頼らない」

 

 

 良い医療を提供していきたいとは思っているが、良い医療は提供しようとしてできるものではないし、医療は他人のまねをすることができないものなので、そうしてしまうとただ自分のだらしなさが直に現れてしまうだけである。だからこそ自分がいつも未知の谷に飛び込んで不安の中に身を置いて、昨日を、過去をぶち壊していきながら自分だけの医療を作り上げていくことが大切で、つまり慣れるよりも「壊す」というのが僕のやり方である。また、過ぎてしまったことはきれいにすっぱりと忘れていきながら、もしかしたら自分の中にまだ芽をふかないものがあるかもしれない、ひょっとしたらまだ思いがけないものが潜んでいるかもしれないと絶えず自分を信じ続けることが自分の可能性へと繋がっていくものだと思っている。そのためにはいつも自分を空っぽにしておかないと新しい空気は入ってこない。自分に学び方があるとすればそれはいつも自分を空っぽにしておくということだ。さらに、自分を堕落させるのも良くしていくのも自分自身なのだと常に自分に言い聞かせておくことも大切だ。誰かにすがっていたら、慣れてしまっていては、努力しない自分が現れてきてしまう。人それぞれ姿や形が違うように、運命も皆違うのだから誰もしないことを自分に課せて、自分のためだけの人生を歩んでいかなければ自分の未来は絶対に形作れない。だからこそ安全な道はなるべく通らないで不安な道や未知の道をあえて選んで進んでいくことこそが自己修養であって、自己成長の基本であるといつも思っている。この年になってくると老いという進化が少しずつ始まってきてはいるが、それをも自分の糧として過去に学びながら常に少しだけ未来を見つめながら、最期の最期まで少しでも、1ミリでもいいから成熟に向かって歩んでいきたいと思っている。

 

今日51歳の誕生日を迎えました。「慣れない」「群れない」「頼らない」を自分の三大原則としてこの一年も実りある成長を求めて頑張っていきたいと思っています。またこの日の夜に、STRグループ忘年会を広島グランビアホテルで行ないました。この忘年会に今年も職員一同が集うことができた環境や健康に感謝しながら、食事やお酒やゲームを心ゆくまで楽しみました。

カテゴリー: 未分類 |

我事に於いて後悔せず

 

 

 この世に自らの意思で生まれてくる人は一人もいない。寿命もまた人の意思の範疇をはるかに超えていてコントロールできるものではない。しかも自分と全く同じ人間は過去にも存在しなかったし、これから先の未来にも生まれてくることは決してない。人は誰しもこの広大な宇宙の中でただ一人、一回限りの命を生きている。だからこそ自らの責任のもとに日々修養しながら、自己成熟させていくことこそ、自らにかせられた課題であり、自らの人生を生きていくことの真の意味ではないかと思う。そしてその人生とは自らが切り開くものであって、他人任せの判断や成り行きに身を委ねていてはいけない。さらには人生の岐路に立ち向かうときには、物事の本質をできるかぎり深く掘り下げて考え、冷静な判断の下に決断し、全てを断ち切って前に進んでいくことが肝心である。また決断し努力した結果を天の定めに委ねるという思いも忘れてはならない。つまり常に見識ある判断のもとに決断を下すことが自らへの責任であるということを肝に銘じていなくてはならないと同時に、自らの決断と修養のもとに起こった事には「我事に於いて後悔せず」という思いを持っておくことも大切だ。

 

 

 この度、ご遺族の方々を招待して第12回グリーフケアーパーティをホスピス・ナーシングホーム「クリーム」で開催しました。今回は海外から来られ現在一緒に仕事をさせていただいているDr.ピート(イギリス)、フェビーさん(フィリッピン)、ヒメさんとモモさん(タイ)に各国の紹介、伝統、習慣、有名な食事などをプレゼンテーションしてもらい、集まられた遺族の方々と異国文化を心ゆくまで堪能させてもらいました。

カテゴリー: 未分類 |

音 楽

 

 一般にどのような音楽にでも聴き所があるものだ。ミュージシャンが好きで聴く場合もあるし、CDアルバムという一つの作品の演出、テーマに眼を見張ることもある。メロディーや音色や編曲がすばらしいものもあるし、歌詞のよさに感心するときもある。どこか一つにでも自分が興味の持てる良いところを見つけて、それを鑑賞することが大切だ。つまり好きとはそういうことなのだろうと思う。音楽はある意味で総合芸術であるからいろいろな要素が含まれており、CDアルバムやその曲のストーリーが興味深く、演奏者も名演者ぞろいで、しかもメロディー、編曲、演出がよくて、流れている音色も美しく、全てがそろっていて素晴らしい音楽と感銘できることが一番望ましいのは当然はであるが、お金を支払って購入している以上、楽しまなければ損である。しかめっ面ばかりして評論家気取りになるよりも、ひとつだけでも良いところを見つけてひたすら鑑賞して、満足して心豊かになることができればそれに越したことはない。人間関係についても同じようなことが言えると思う。なにかしら相手の良いところを探して接するように心がけていれば人生ももっと楽しくなるのではないのかと。

 

 数年前よりイギリス人のピート先生、フィリッピン人のフェビーさんという外国の方々と仕事をさせてもらいながら、語学や異国文化も学ばせてもらっています。そしてこの10月より新たにタイのチェンライから日本へ語学留学をされているモモさんとヒメさんという方と縁があり一緒に仕事をさせてもらっています。片言の日本語とタイ語でのコミュニケーションのため、まだまだお互いに苦労も多いですが、「出逢い」に感謝しながら頑張っています。

 また長年乗り継いできた愛車Benz SL55 AMGから、長年の夢であったAston Martin V8 Vantage Roadstarに乗り換えました。想像を超えた気品と優雅さを兼ね備えた美しい車で、とっても気に入っています。

カテゴリー: 未分類 |

「旅」に思うこと

 

 僕は一人で旅をすることが好きだ。というよりも一人で飛行機に乗っていることが大好きだと言うほうが当たっていると思う。制限されたある意味少し窮屈な環境で、顔見知りの人もおらず携帯電話もつながらない状態で、一人でおかずをつまみ、ビールを飲み、思いに耽けながら、誰にも邪魔されないで過ごす時間がとても至福の時なのです。確かに白い砂浜が続き、晴れ渡った真っ青な空や海のもとで、パラソルの造り出す日陰でボーっと時間を過ごすのも心地よいものですが、このような避暑地では視界に入る動きのある美しい情景や、自然や海辺の奏でる音色が心地よく五感を刺激するために、深く思慮を巡り渡すには情感的過ぎて、そのために自分自身に集中できず、自己洞察、考察するのには向きません。だから僕が好んで休暇を取るのは、どこかの観光地へ行きたいとか、旅先でのバカンスを楽しみたいとか、何か美味しいものを食べに行きたいとかいうよりも、旅先への行路、道程を楽しみたいというのが一番の理由のような気がします。そして今は、日本~バンコク間を飛行しているタイ航空の機内で枝豆をつまみビールで喉を潤しながら思索に耽ることが僕にとっての最高の息抜きであり、至福の時です。さあ、そろそろ「旅」にでてみようかな?

 この10月23日に晴れ渡る秋空のもとで幼稚園の運動会がありました。せっかくの運動会でしたが僕は当番医にあたり仕事のために参加できませんでしたが、子どもたちは精一杯頑張ってくれたようです。子どもの成長は早いものですね,…。

カテゴリー: 未分類 |